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名古屋高等裁判所 昭和61年(行コ)11号 判決 1991年3月28日

愛知県豊橋市小池町字角田五番地

控訴人兼亡鈴木きよ訴訟承継人

鈴木美佐江

東京都世田谷区深沢一丁目一〇番二号

控訴人兼亡鈴木きよ訴訟承継人

渡会昭代

東京都世田谷区代田一丁目三番三号

控訴人兼亡鈴木きよ訴訟承継人

大熊教子

愛知県豊橋市小池町字角田五番地

亡鈴木きよ訴訟承継人

控訴人

鈴木茂雄

愛知県蒲郡市三谷北通一丁目一一七番地

亡鈴木きよ訴訟承継人

控訴人

滝本吉子

千葉市園生町二五〇番地の一五

亡鈴木きよ訴訟承継人

控訴人

稲垣毅夫

愛知県豊橋市牛川町字乗小路三二の四〇八

亡鈴木きよ訴訟承継人

控訴人

稲垣敞夫

右同所

亡鈴木きよ訴訟承継人

控訴人

稲垣俊夫

右控訴人ら八名訴訟代理人弁護士

大塚錥子

竹下重人

愛知県豊橋市吉田町一六番の一

被控訴人

豊橋税務署長 渡辺成雄

右指定代理人

杉垣公基

山下純

小山均

遠藤次男

主文

一  本件各控訴を棄却する。

二  原判決主文第一項を次のとおり更正する。

三  控訴人らの本件訴えのうち、被控訴人が亡鈴木きよ、控訴人鈴木美佐江、同渡会昭代、同大熊教子に対し昭和四六年三月八日付でした各相続税の更正及び過少申告加算税賦課決定(但し、昭和四七年八月三日付の裁決により一部取り消しがされた後のもの)につき課税価格を亡鈴木きよについては金七二八万八〇〇〇円、控訴人鈴木美佐江については金七〇七万八〇〇〇円、控訴人渡会昭代については金二六四万二〇〇〇円、控訴人大熊教子については金二八七万八〇〇〇円としてそれぞれ計算した額を超えない部分の取消しを求める訴をいずれも却下する。

四  控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

第一申立

1  控訴人ら

一  原判決を取り消す。

二  (主位的請求)

被控訴人が昭和四二年一〇月二四日被相続人鈴木伝治の相続開始にかかる相続税について、昭和四六年三月八日付でした各更正および各過少申告加算税の賦課決定の各処分(但し、いずれも国税不服審判所長が昭和四七年八月三日付でした裁決によって一部取り消しがされた後のもの)のうち左記各金額を超える部分を取り消す。

<省略>

<省略>

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

(予備的請求)

控訴人らが昭和四二年一〇月二四日被相続人亡鈴木伝治の死亡による相続開始にかかる相続税につき昭和四三年四月二四日付でなした相続税の各申告は、左記各金額を超える部分につき無効であることを確認する。

<省略>

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

2  被控訴人

主文同旨

第二主張

原判決第二当事者の主張(原判決三丁裏一一行目冒頭から五八丁表三行目末尾まで)を左に付加訂正したとおりであるから、ここにこれを全部引用する。

1  原判決四丁表一行目「原告ら」を「控訴人亡鈴木きよ、控訴人鈴木美佐江、同渡会昭代、同大熊教子」と訂正し、同二行目「相続人である。」を「相続人であるが、鈴木きよは、昭和五六年五月五日死亡した。」と改める。

2  原判決四丁表七行目「妻であり、」の次へ「右死亡による相続関係は別紙「鈴木きよ相続関係図」記載のとおりである。また」と訂正し、同四丁裏九行目「をした。」の次に「なお、控訴人亡鈴木きよの死亡によって、同人の申告によって確定した相続税の納税義務および本件更正処分(但し昭和四七年八月三日付の裁決により一部取り消された後のもの。以下同じ)により確定した相続税の納税義務を、同人の共同相続人である各控訴人が、次のとおり承継した(国税通則法五条)。なお鈴木きよの死亡によって、同人によって申告されまたは同人に対して更正通知がされた本件相続税の課税価格に変動を生じないことは、相続税の納税義務成立の時が特定時点に確定している(国税通則法一五条)ことから明らかである。

亡鈴木きよの申告により確定した相続税の納付義務

課税価格 七二八万八〇〇〇円

相続税額 二八万八七〇〇円

控訴人鈴木美佐江の承継額 七万二一七五円(<省略>)

控訴人滝本吉子の承継額 七万二一七五円(〃)

控訴人渡会昭代の承継額 二万四〇五八円(<省略>)

控訴人鈴木茂雄の承継額 二万四〇六〇円(〃)

控訴人大熊教子の承継額 二万四〇五八円(〃)

控訴人稲垣毅夫の承継額 二万四〇五八円(〃)

控訴人稲垣俊夫の承継額 二万四〇五八円(〃)

控訴人稲垣敞夫の承継額 二万四〇五八円(〃)

本件更正処分にかかる亡鈴木きよの相続税納付義務

課税価格 三一五五万一〇〇〇円

相続税額 七三六万六〇〇〇円

控訴人鈴木美佐江の承継額 一八四万一五〇〇円

控訴人滝本吉子の承継額 一八四万一五〇〇円

控訴人渡会昭代の承継額 六一万三八三五円

控訴人鈴木茂雄の承継額 六一万三八三三円

控訴人大熊教子の承継額 六一万三八三三円

控訴人稲垣毅夫の承継額 六一万三八三三円

控訴人稲垣俊夫の承継額 六一万三八三三円

控訴人稲垣敞夫の承継額 六一万三八三三円」

と加える。

3  原判決六丁表八行目「名古屋高等裁判所」の後へ「昭和四八年」と加える。

4  原判決六丁裏八行目「そして、申告に」から七丁表三行目「で、」までを、改行して次のように改める。

「元来、増額更正処分が税務署長によりなされた場合には、従前の申告はその効力を失うものなのである。

すなわち増額更正の場合には、処分それ自体は、申告に係る課税標準及び税額等の脱漏部分を追加確認する処分ではなく、申告に係る課税標準および税額等を白紙に戻し、改めて全体としてのそれらを確認し直す処分であり、増額更正がなされることによって従前の申告は効力を失い、その第一次的確定力は当然に消滅すると解される。しかもその更正処分につき、取消訴訟が係属している以上、本件相続に係る相続税の納税義務全体が未確定の状態にある。そうであるならば、相続財産として申告され、増額更正処分においても相続財産と確認された不動産が、更正処分取消訴訟係属中に相続財産でないことに確定した場合には、控訴人らはそのことを理由に、その不動産を相続財産に含めたことによる課税価格に相当する部分の更正処分の取消を求めることが許され、しかも増額更正処分の取消訴訟の係属によって本件相続に係る相続税の納税義務全体がなお未確定の状態にあるので、控訴人らが別件和解をしたのちに減額更正手続をとらなかったことは前記請求の妨げにはならない。従って、」

5  原判決七丁裏二行目「超える部分」、同八丁裏七行目「超える部分」の次に「(亡鈴木きよの相続人らについては前掲各課税価格、相続税額、承継額各欄に記載のとおり)」と加える。

6  原判決三三丁裏一一行目「求めるが、」の次へ「控訴人らの申告に係る課税標準および相続税額を超えない部分は、控訴人らにおいて自認したものと評価できるから、この範囲についてまで取り消しを求めることは訴の利益を欠く。申告額を超えない部分についての不服申立は、更正請求を受けて行われる税務署長による更正についての拒否処分に対して行われるべきものであり、本件のように申告額を増額した更正処分に対する不服申立とは全く別個の問題であるから、控訴人らの吸収一体説に立つ主張は、独自のものであって失当である。そして控訴人らが、」と加える。

7  原判決四五丁裏三行目「豊橋支部」、五六丁表八行目「豊橋支部」をいずれも「豊橋支局」と訂正し、五一丁裏六行目「くじて」を「くじで」と訂正する。

8  原判決五三丁表三行目と四行目の間に改行の上左のとおり加える。

「次に被控訴人には、亡茂の特有財産につき、みなし課税権の濫用がある。

すなわち被控訴人は、本件更正決定に含まれた各銀行の預貯金類(明細表番号93、98、101、103)について、昭和四三年の法人(株式会社マルシメ商店)税務調査の結果、それらを法人の流出資産(株式会社マルシメ商店の資産)とみなして、法人税の更正決定を行った。株式会社マルシメ商店の経営者(即ち控訴人ら)は、それらの預貯金類は法人のものではないと主張して異議、ついで審査請求を行ない、その結果、国税不服審判所はそれらについて法人税の更正決定を取り消す裁決を下した。しかるに、被控訴人は、それらの預貯金類が法人のものでないならば、亡鈴木伝治の相続財産であるとみなして、伝治の相続税の再更正決定を行った。

納税者にとって、税務署長によるいわゆるみなし課税は強力な権限として知られており、もともと物的証拠のない課税であるみなし課税を、同一の預貯金について二度までも試みることは強権たるみなし課税権の濫用というべきものであり、納税者の税務行政に対する信頼を裏切るものであって、再更正処分の取消しないし無効の原因となる。」

9  原判決五八丁表三行目の次へ行を改めて

「3 亡茂の預貯金類について被控訴人のみなし課税権の濫用がある旨の主張は争う。」

と加える。

第三証拠関係

本件記録中の原審および当審における各書証目録、各証人等目録記載のとおりであるからこれをここに引用する。

理由

一  当裁判所も、控訴人らの本件主位的請求のうち、本件各更正につき、原判決別紙一の各「確定申告」欄記載の各課税価格(但し亡鈴木きよについては前記亡鈴木きよからの承継分記載の各価格をさす。以下特に摘記しない限り同様である)を超えない部分についてその取消を求める部分は不適法であって却下すべきであり、その余の本件主位的請求および本件予備的請求は、いずれも理由がないからこれらを棄却すべきものと判断する。

その理由は、左に付加訂正するほかは、原判決理由第一ないし第三(原判決五八丁表八行目冒頭から一〇〇丁表二行目末尾まで)の認定説示と同一であるから、ここにこれをすべて引用する。

1  原判決五八丁裏一行目と二行目の間に

「亡鈴木きよの死亡およびその相続関係、各相続人の承継にかかる申告および本件更正処分にかかる各相続税額については、被控訴人において明らかに争わないので、これを自白したものと看做す。」

と加える。

2  原判決六〇丁表一行目「相続税」から同裏一〇行目「のとおりである。」までを左のとおり改める。

「国税通則法は、自己の課税価額については納税義務者自身が最もよくその事情に精通しており、これを尊重する建前から、税額確定のための方式の一つとして申告納税方式を採用し(同法一六条)、相続税に関しても同方式に従い、納税義務者による確定申告書の提出により納税すべき税額が確定することになっている(相続税法二七条)。このような申告納税方式においても申告書に記載した課税標準が、過大となっている場合には納税義務者の救済を図る必要がある。しかしながら他方租税については可及的速やかにこれを確定して国庫財源を確保する国家財政上の要請も存するので、両者の調和を図るため、減額更正の請求(国税通則法二三条一項、二項、相続税法三二条)が認められている。すなわち一旦税務署長に提出した申告書に記載した課税標準等の計算に誤りがあり、税額が過大である場合には、当該申告書に係る国税の法定申告期限から一か年以内に限り更正の請求をなし得る(昭和四五年法律第八号による国税通則法二三条一項の改正前)ものであり、また後発的事由が発生した場合、すなわち確定申告後に、課税標準等の計算の基礎となった事実に関する訴えについての判決、裁判上の和解が確定した場合にも二か月以内に限り減額更正の請求をなし得る(同法二項、前記昭和四五年改正の際追加)ほか、その特則として相続税法三二条による更正の請求が認められている(規定事由の発生を知った日から四か月以内)。

このことから、一旦申告により確定した税額は、原則として、納税義務者においては、右更正の請求の手続に従ってのみその減額を求め得るにすぎず、他の救済手段によることは許されないと解するのが相当である。その理由は、右更正請求以外に納税義務者に争う方法を認めれば、前記減額更正請求の規定により請求期間を限定した趣旨に基づく租税の早期確定の要請と、納税義務者の救済の要請の調和の法の趣旨が没却されてしまうからである。

本件については、昭和四二年一〇月二四日、伝治の死亡により開始された相続につき、控訴人らは法定申告期限経過後一か月以内において国税通則法二三条一項所定の更正の請求を行っておらず、昭和五一年一二月二七日成立した裁判上の和解の成立後二か月以内に同法二三条二項による更正の請求を行っていない(なお、本件は相続税法三二条の更正請求をなし得る事由の一つにも該当しない)ことは、いずれも控訴人らの明らかに争わないところである。

従って、右申告にかかる課税価格及び納付税額を超えない部分についてはもはや争い得なくなっているものというべきであり、その取消を求める請求部分は不適法として却下を免れない。

なお、控訴人らは、本件においては別件和解の成立により、国税通則法二三条二項の請求期間に拘束されない特段の事情があるとして、増額更正決定の取消請求訴訟の係属中に別訴判決等による事実の変更があった場合には相続の実態に即応した相続税の負担を実現する判決をすべきであること、複雑難解、偶発的発生にかかる相続税は、継続的企業にかかる租税とは異った配慮がされるべきであること、更正の請求期間が徒過しただけで申告納税義務が確固不動のものとなるものではないことの三点を右特段の事情としてあげるが、これらが、本件に特有の特別事情でないことはその主張自体から明らかなところである(なお、別件和解による控訴人らの相続財産の範囲についての合意は、当審の右範囲や帰属の判断を拘束するものではない)。従って別件和解成立後二か月以内に前記更正の請求をしなかったことによる不利益を控訴人らが受けないとすることはできないところである。」

3  原判決六四丁表七行目「久世あき」の後へ「(当審控訴本人鈴木美佐江の供述により久世やつの誤とみとめる)」と加える。

4  原判決七一丁表九行目と一〇行目の間に、改行して左のとおり加える。

「(七) 当審において控訴人本人鈴木美佐江は大要次のとおり供述する。

(1)  身上譲りの慣習は豊橋地方で広く行われ、同人の卒業した旧制女学校の同窓生のうち一六名が養子取りで、うち身上譲りをしたのは四名、その中に友人の磯部ますゑ、尾川きみゑがある。

(2)  身上譲りが行われたのは昭和一〇年三月一一日であり、その席に立会ったのは亡伝治、亡きよ、荒川渉、久世やつ、亡茂、美佐江の六名であった。

(3)  その席上で、亡伝治は今ある身上を茂に譲りたいから皆一緒に聞いてほしいと述べ、権利証、実印、通帳、小切手類を一括して茂に渡し、茂は、自分には荷が重いが、こうしていたヾいたので一所懸命にやる旨答え、その後二〇日間位かけて番頭の案内で各土地建物を一つ一つみて確認し、マルシメ商店の取引先の一つである日本石油の社員にはこのことを説明した。

(4)  その後身上譲りを受けた不動産の登記名義を茂にしなかったのは、茂をふくめ家中皆が、そうしなければならないとは思わなかったからにすぎず、他の理由の一つとして、登記を茂に移せば、強欲な養子と非難されることを茂が嫌がっていたこともある。

(5)  原判決別紙三明細表6の土地は、身上譲りの頃までに亡伝治が買受けたものの代金の六、七割しか払っておらず、昭和一五年ごろ亡茂において残代金を支払ったが、伝治が以前買ったものであるから、伝治名義で移転登記を受けただけである。

(6)  明細表8の土地の所有権の紛争について、酒井弁護士を選任し、調停に直接出席したのは自分であり、和解金も美佐江の金を出して解決した。名義が伝治となっていたので委任状その他は伝治名義になっている。

(7)  明細表15ないし17も、身上譲りの前から交換によって伝治の所有となっていたが、事後処理として形だけ伝治名義に所有権移転登記手続をとった。

(8)  明細表18ないし20の土地は、亡伝治が三谷町長小田忠平から昭和八、九年ごろ買い取り、手付も払った。買ったのが伝治であるから、身上譲りの後も伝治名義で移転登記を経由した。

(9)  亡茂の死亡後、本件土地、建物について相続税の申告をしなかったのは相続税を申告すべきことを知らなかったからである。それと身上譲りを受けた茂が名義を変えなかった以上、これが表にあらわれていないから申告しなかったヾけである。

(10)  別件和解の調書が存在するのに、これに基づかずに、相続人全員の印鑑で任意移転登記をしたのは司法書士鈴木茂の指導で登録税を安くするためにしたものである。

(11)  本件相続税の申告につき、本件土地建物を相続財産として記載したのは名義が伝治となっているから、そのとおり申告するより仕方がないとの近藤新太郎税理士の指導による。

(12)  財産税の申告についても、土地家屋が伝治名義であったので、そのとおり記載して提出した。

(13)  明細表5ないし8、14ないし20、22ないし25、28の土地等の賃貸料収入を、伝治が自己の収入として確定申告したこと、浜松市野口町の土地の売却の譲渡所得の申告を伝治名義でしたことは、その名義が身上譲りの後も伝治のまヽであったから、各申告したにすぎない。

以上の如き控訴人美佐江の当審供述について、これを検討するに、右(1)(2)(3)(4)の身上譲りについては、昭和一〇年三月当時二〇才であった控訴人美佐江の遠い記憶に基づく断片的な亡伝治、亡茂らの言動をつなぎあわせたにすぎないと評価されるもので、他にこの事実を客観的に裏付ける一括生前贈与の趣旨をあらわしたような文書、覚書等の如きものは、当審においても遂に提出されず、その慣習の存在についても、一般的な民俗学的な資料すら証拠として提出されていない以上、右の美佐江の供述ないし同供述に、別件和解調書(甲第四号証)、原審鈴木茂雄(第一、二回)の証言、当審で提出された甲第四三号証、第四四号証の一、二の各記載をあわせ考えても、身上譲りにより本件土地、家屋が昭和一〇年ごろ亡茂に贈与された事実を認めることは到底できない。

そして右身上譲りの事実を否定する原判決第二、二2(二)(1)ないし(5)の各認定事実について、弁明する控訴人美佐江の供述は、前記(5)ないし(13)のとおり、自己の主張に都合のよいように、実質上の所有者が伝治であったから伝治の名義とした((5)(7)(8))と述べたかと思うと、逆に名義が伝治のまヽであったから、形式面に沿った申告等をした((9)(12)(13))と説明するなど、基本的な認識についての齟齬が多く、また説明に窮すると、司法書士、税理士の誤った指導の故とし((10)(11))、あるいは前顕甲第二六号証の一、乙第六二号証の一の直接関与者の上申内容等と矛盾する((6))など、すべてについて合理性、一貫性、客観性に乏しく、身上譲りを否定する各事実を益々強める結果となっているものである。」

5  原判決七一丁表一〇行目の「(七)」を「(八)」と、七二丁表九行目「(八)」を「(九)」と訂正する。

6  原判決九二丁裏五行目と六行目との間に改行して次のように加える。

「(4) 預金の帰属に関する当審における控訴人鈴木美佐江の供述の大要は、左のとおりである。

<一>  亡茂の特有財産は、ブローカー等により得た利益、商品、現金、有価証券の形で合計約六〇〇万円同人死亡後に遺っていた。

<二>  美佐江は、昭和二五年これを旧第一銀行と旧日本勧業銀行へ預金し、満期金を坂東証券で株式を買い、あるいは鈴木品次という骨董商で骨董品を売買し、次々にふやし、これを又預金し、七年毎に倍となった。

<三>  右六〇〇万円の内訳は、茂のスモカ代理店権利および差入保証金の譲渡により六〇万円を得たものがその一部である。

<四>  茂の事業に片野商店から、鈴木一二、守田の両名が応援に派遣されていたが、茂の死亡後右両名を片野商店に戻した際、在庫化粧品を売却して合計七六万九七一九円五二銭を得た。

<五>  その頃協和薬品に在庫商品を引取ってもらい八〇万円を得た。

<六>  片野、協和薬品経由で、商品をメーカーに返品して受領した金が約四、五〇万円ある。

<七>  在庫商品の販売により六四万三一九二円八四銭を得た。

<八>  売掛金の回収で一〇〇万円、現金と小切手が二つの風呂敷包みに入っているのを見付け、これが一四〇万円あった。

<九>  銀行預金を管理していたのは美佐江であるが、銀行に預け放しにしていたので、具体的にどのように運用されたかの詳細はわからない。また預金通帳、印鑑類も家では見たことはない。

以上の如き控訴人美佐江の当審供述を検討するに、右<三>を、弁論の全趣旨により成立を認める乙第五五号証と対比すれば、スモカ歯みがきの権利譲渡による金銭の授受はなかった事実が窺われ、また<四>の在庫品の引取による支払額も三〇万円程度にすぎなかったものと認められること、<八>の売掛金一〇〇万余円を立証するという甲第四六号証の二ないし五、<四><七>の在庫商品の引取額を立証するという甲第四五号証の一ないし三の記載も、その体裁乃至記載からこれらの商品を、はたして片野商店等が主張の金額で引取った事実を示すものか否か疑問があるばかりか、弁論の全趣旨により成立を認める乙五三号証の記載によれば、<四>の化粧品以外の在庫品について価値のあるものはなかったことが認められ、更に<五><七><八>についてはこれを認め得るような証拠は他に全く存しないから、結局昭和二五年ごろ、合計六〇〇万円の現、預金を亡茂の事業に関連してその特有財産として控訴人美佐江が所持、保有し得た事実を認めることはできない。

まして、控訴人らの主張の中に右の一部を基礎にして昭和四三年迄に三六八三万余円もの匿名預金に増殖した旨の主張が含まれているとしても、控訴人美佐江の供述<二><九>自体からみて、右主張もこれを認め得ないところである。

(5) なお、控訴人らは右預金の帰属の認定につき被控訴人にみなし課税権の濫用があった旨の主張をする。控訴人本人美佐江の当審供述によれば、国税不服審判所長の裁決により右預金が法人の流出資産であるとの原処分が取消されたところ、その後右預金は亡伝治の相続財産であるとして被控訴人の更正決定がなされた経緯を認めることはできるが、右更正処分が、みなし課税権の濫用であることを認め得るような証拠は存しない。」

二  以上の次第で、控訴人らの本訴請求のうち主位的請求について、控訴人らの各申告額を下廻る課税価格、相続税額の取消を求める部分は却下を免れず、その余の主位的請求のうち、本件土地、家屋および明細表番号93、98、101、103の預金は相続財産の範囲に属するものと認められ、右以外の点に関する請求も理由がない。予備的請求については、控訴人らの申告に錯誤およびその利益を侵害する特段の事情を認めることはできないので、同請求も理由がない。

右のとおり、原判決は相当であって、本件各控訴はいずれも理由がないから、これを棄却することとし、原判決主文第一項を民訴法一九四条により、主文第二、三項のとおり職権で更正し、控訴費用の負担につき行政事件訴訟法第七条、民訴法第九五条、九三条一項本文、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 水野祐一 裁判官 喜多村治雄 裁判長裁判官海老塚和衞は差支につき署名押印できない。裁判官 水野祐一)

鈴木きよ相続関係図

<省略>

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